アセンションの意味

 

アセンションを達成した人というのは、地球の歴史上数千人しかいないとラムサが言っているように、身近にアセンションした知り合いなどいないので、なかなか信じられない方や、半信半疑の方、自分には無理なのではないかとお考えの方も多いのではないかと思います。

 

確かに、「ヒマラヤ聖者の生活探究」に出てくる不死のマスター達は、先祖代々アセンションしている家系の出身だったりするので、明らかに状況が違いすぎるので、直接アセンデッドマスターに指導してもらえる環境ではない我々は不利と言えます。

 

しかし、我々が条件を満たした際には、ホワイトブラザーフッドのマスターが注目してくださって、導いてくださるそうなので、それを目指して努力するしかありません。

 

今日は、アセンデッドマスターのラムサやジュワル・クール大師の教えから、アセンションへの道しるべを探りたいと思います。

 

まずは、絶版になっている「ラムサの教え」のラムサ用語一覧から、アセンションの定義を探ってみましょう。

 

アセンション

アセンションは覚醒の自然な結果である。

 

それは、人間の体のすべてのエネルギー中枢を開き、潜在意識を完全に開花させることによって起こり、その結果として、すべての存在の天界で完全な自由を得る。

 

アセンションしたマスター(アセンデッド マスター)

物質界、空間や時間の制限を超越し、死を克服した人のこと。

 

これらのマスターは、肉体の周波数を上げて、この天界から去り、自分の選んだどんな存在の天界や次元にも出現することができる能力を達成した人々である。

 

覚醒

人間の完全なる悟り、不死や無限なる精神の達成のこと。

 

覚醒は、脊髄の基底部にあるクンダリーニエネルギーを脳の休止状態の部分を起動させる第七シールまで上昇させた結果として起きる。

 

エネルギーが小脳や中脳を貫くと、潜在意識が開かれ、覚醒と呼ばれる眩しい光を体験する。

 

クンダリーニ

クンダリーニエネルギーは、思春期に上位シールから脊髄の基底部に降りて来る生命力である。

 

それは、人間の進化のために保存された大きなエネルギーの束で、通常、脊髄の基底部にいる とぐろを巻いた蛇として描かれる。

 

このエネルギーは、最初の三つのシールから生じるエネルギーとは異なる。

 

クンダリーニエネルギーが頭頂に向かう旅は、覚醒の旅と呼ばれる。

 

この蛇が目覚め、分裂し、脊髄の周りを踊り始めると、脊髄の液体をイオン化し、その分子構造を変化させ始める。

 

その時に、覚醒の旅が始まる。

 

このエネルギーの働きは、中脳を開き、潜在意識の扉を開くことになる。

 

 

 

このラムサ用語解説をお読みいただくと分かるように、アセンションとは、クンダリーニエネルギーを覚醒させて、頭頂のシールまで上昇させて、脳の休止状態の部分を起動させて、人間の体のすべてのエネルギー中枢を開き、潜在意識を完全に開花させることだと分かります。

 

ここで、クンダリーニエネルギーや頭頂のシールやエネルギー中枢についての詳細を、ホワイトブラザーフッドの第五イニシエートであるジュワル・クール大師がアリス・ベイリーにテレパシーを送って書かせた書籍から探してみましょう。






魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 215ページ

 

その二義的な意味はもちろん、(松果腺の部位に感じられ、「頭部内の光」と呼ばれる)魂の波動に反応したときに起こるクンダリーニつまり脊柱基底にある蛇の火の作用に直接関係するものである。

 

上昇しながら、それは脊柱のエーテル通路にあるすべての障害物を焼き尽くし、脊柱上の五つのセンターと頭部内の二つのセンターを活性化し、諸センターに電気を流す。

 

頭部内の空洞にある生命の空気(ヴァイタル・エアー)もまた活動へと促され、そこで浄化というよりはむしろ排除の効果を生み出す。

 

学ぶ人々がそれについてすべきことはまだ何もない。

 

ハートの熱誠こそが、それが自らの内にあるならば、必要とされる「火のような」特性であり、自らの肉体的、情緒的、知的な性質の着実な浄化を望ましいように進めることしかできない。

 

これが達成されたとき、魂の反応が効果を生み、それに続くエーテル・センター内の反応も安全に、法則のもとで、正常に起こるようになる。


魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 226ページ

 

教師が弟子の肉体の状態を正しく考慮した後に初めて、このスートラに述べられている教えの多くを弟子に直接教えるのが安全になるのは明らかである。

 

訓練を積んだ弟子が自分の濃密な肉体をエーテル体に即座に同調させたり、周囲に磁力的な結果を生み出すためにオーラを濃密化して輝かせたり、サイキック能力を発揮するためにセンターを目覚めさせたりできるようにする規定、実践法、方法などを、一般向けに書かれた本の中で与えることはできず、またそうすることは適切でもない。

 

クンダリーニの火を目覚めさせ、それをエゴの下降するフォースと融合する方法もまた、この科学に精通した方から直接弟子に教えられなければならない。

 

正しく「相反する対をなすもののバランスをとる」前に、時期尚早に火を目覚めさせることは極めて危険であり、その結果としてエーテル体の保護組織が破壊され、この世とアストラル界の間にある障壁が砕け落ちることになる。

 

プラーナつまり生命の流れの外的な統御とは、エーテル・センターと結びついた肉体器官を適切な状態にするために呼吸法やリズミカルな行法を行うことである。

 

白魔術師やオカルティストは、これらの肉体器官そのものを具体的に扱うことは決してない。

 

彼は濃密な肉体の二つの部分を融合し、二つの体のリズムを同調させ、その結果としてエーテル的な呼吸とリズムに注目を向けることで低位人間全体を統一する。

 

これが必然的に「生命の流れの外的な統御」を生じさせるのである。

 

生命の流れの内的な統御は、次の三つの方法によって成し遂げられる。

 

1 エーテル体の性質とその生命を支配する法則を知的に理解することによって。

 

2 エネルギーのタイプと、エーテル体にあるそのエネルギーのための器官、つまりセンターのシステムを考察することによって。

 

3 (先述のヨガの方法に注意を払うことによって)熱誠家に準備ができたときにもたらされるいくつかの発達と知識によって。

 

それによって彼はいくつかのタイプのフォース、エネルギー、シャクティの栓を抜き、自分自身のセンターを通して正しくそれを活用し、イルミネーション、浄化、磁力的、ダイナミック、サイキック的、魔術的といった言葉で表わされるような結果を生じさせることができるようになる。

 

生命の流れを停止することによる統御とは、他の二つ、外的な統御と内的な統御がもたらす結果であり、第五のヨガの方法である撤退つまり抽出が可能になる前に達成しなければならないものである。

 

それは単に、肉体の二つの部分が完全にバランスがとれ、同調し、完全に融合していることを示すものであり、それによってフォースの流入流出が妨害されることはなくなる。

 

停止による統御が達成されたとき、ヨギは意のままに肉体から抜け出したり、七つの偉大な惑星フォースのどれでも肉体に引き入れて、意のままに操作できるようになる。

 

 

 

「エーテル体の保護組織が破壊され、この世とアストラル界の間にある障壁が砕け落ちることになる。」という記述がありますが、クンダリーニエネルギーによるエーテル体の保護組織の破壊についての説明は以下にあります。


ホワイトマジック(下) アリス・ベイリー著 214ページ~

 

この問題について詳しく述べる前に、「頭部内にある網状組織」について言及しておきたい。

 

これは、大多数の人々の場合、無傷な状態にあるが、イルミネーションを受けた先見者には存在しない。

 

あなた方も知っているように、人間の身体には、肉体の対応物であり、肉体の基礎になり、肉体と浸透し合っている活力体がある。

 

それは肉体よりも大きく、私たちはそれをエーテル体とかエーテル複体とか呼んでいる。

 

それはエネルギーの体であり、フォース・センターとナディーつまりフォースの糸によって構成されている。

 

これらは神経器官――神経と神経節――の基礎になるもの、つまり、その対応物である。

 

人間のエーテル体には二箇所、生命フォースの出口の穴がある。

 

一つは太陽叢にあり、もう一つは脳の頭頂部にある。

 

その両方を、生命エネルギーで織られた撚り糸でできたエーテル物質の細かい網状組織が保護している。

 

死の過程において、その網状組織を打ち続ける生命エネルギーの圧力によって、遂には穴が開き、開口部ができる。

 

魂の抽出の影響力が増すにつれて、そこから生命フォースが流れ出る。

 

動物や子供、肉体とアストラル体に完全に偏極している人々の場合、出口は太陽叢であり、その網状組織に穴が開き、出られるようになる。

 

メンタル・タイプの人々や高度に進化した人間単位の場合、破られるのは泉門という部分にある頭頂部の網状組織であり、思考する知的存在がそこから出ることができる。

 

サイキック能力のある人々、霊媒や低位の予言者(アストラル視力やアストラル聴力のある人々)の場合は、太陽叢の網状組織が人生の早い時期から破れており、そのため、肉体から容易に出入りし、いわゆるトランス状態になり、アストラル界で機能することができる。

 

しかし、このようなタイプの人々には意識の連続性はなく、物質界での存在とトランス状態で経験した出来事を関係づけることができないように思われる。

 

そのため通常は、目を覚ましているときの意識でそれらの出来事を認識することは全くできない。

 

そのような活動すべてが横隔膜より下のものであり、主に動物的な感覚生活に関係している。

 

意識的な透視力のある人々、高位のサイキック能力のある人々や高位の予言者の場合には、トランス状態や憑依や霊媒行為に陥ることはない。

 

穴が開いているのは頭部の網状組織であり、その開口部から光と情報とインスピレーションが流れ入ることができる。

 

それはまた、動物的な性質のトランス状態の霊的な対応物であるサマーディの状態に入る能力を授けるものでもある。

 

したがって、死の過程においてこれらが二つの主要な出口になる。

アストラル偏極している人々や肉体に偏極している人々、したがって大多数の人々にとっての出口は太陽叢であり、メンタル偏極している人々や霊的に方向づけられている人々にとっての出口はヘッド・センターである。

 

これは最初に覚えておくべき最も重要な事実である。

 

生活傾向の向きと生活での注目の焦点が死に際して脱出方法を決定するということが容易に分かるであろう。

 

また、アストラル生活と情緒性質を統御し、自我をメンタル界と霊的な事柄に向けさせようとする努力が死の過程の現象的な様相に大きく影響するということも分かる。

 

明瞭に考えるならば、一方の出口が高度に進化した霊的な人間に関係し、もう一方の出口がほとんど動物の段階と変わらない低い段階の人に関係しているということが分かる。

 

では、平均的な人々はどうなのであろうか。

 

第三の出口がいま、一時的に使用されている。

 

心臓の頂点の真下に、出口の穴を覆っているもう一つのエーテル網状組織がある。

 

したがって、次のような出口がある。

 

1 頭部内の出口。

知的なタイプの人々、世界の弟子たちとイニシエートたちが用いる。

 

2 心臓の出口。

善良な市民、知的な友人、人道主義的な働き手といった親切な善意ある人々が用いる。

 

3 太陽叢の領域にある出口。

情緒的で非理知的で無思慮な人、動物性質の強い人々が用いる。

 

これは、21世紀に西洋においてゆっくりと共通の知識になる新しい情報の最初の要点である。

 

この情報の多くは、東洋の思考者たちの間ではすでに知られていることであり、死の過程の合理的な理解に向けての第一歩である。

 

把握すべき第二の要点は、死を迎えるテクニックがあり、生存中にその訓練をすることでそのテクニックが使えるようになるということである。

 

自分で行うことができるこの訓練に関して、二、三のヒントを与えようと思う。

 

これらのヒントは、すべての熱誠家がいま行っている多くの実践に新しい意味をもたらすであろう。

 

何世紀にもわたって人類を導いてきた人類の兄たちはいま、次に歩むべき大いなるステップのための準備を人々に整えさせることに忙しい。

 

このステップは意識の連続性をもたらすものであり、それによって、すべての死の恐怖が取り除かれ、物質界とアストラル界が実際に一つの界層になるほどまで密接に結びつけられるであろう。

 

人間の様々な様相が一体化しなければならないように、惑星生命の様々な様相にも、同様の統一が起こらなければならない。

 

魂と肉体と同じように、いくつかの界層も一体化しなければならないのである。

 

これはすでにエーテル界と濃密な物質界の間ではほぼ成し遂げられている。

 

そしていま、物質界とアストラル界の間でもその一体化が急速に推進されつつある。

 

人間の思想と生活のあらゆる分野の探究者たちが行っている仕事において、この統一が進行しつつあり、熱心で誠実な熱誠家に対して現在提案されている訓練には、魂と肉体の一体化を生じさせる以外にも目的がある。

 

しかしながら、人間には誤った目的を過度に重視する能力があるため、それらは全く強調されていない。

 

次のような疑問が当然ながら起こるであろう。

 

つまり、生活そのものを規律ある建設的なものにするだけではなく、外的な鞘を抜け出すときが来た際に何の問題も困難も起こらないようにするためにもリズムを確立すべく、すべての人々が従うことのできる簡単な規定を提供できないかと。

 

では、すべての学ぶ人々が現在行っている多くのことに関連のある四つの簡単な規定を提供することにしよう。

 

1 心象化と瞑想、そして集中の着実な実践を通して頭部に集中し続けるようにしなさい。

 

眉間の玉座に座す王として生きるようになる能力を発達させなさい。

 

これは毎日の日常生活に適用できる規定である。

 

2 他の人々の事柄に手出ししようとする活動に情緒的に固執するのではなく、ハートの奉仕を行うようにしなさい。

 

そのようなあらゆる活動を行う前に、次の二つの質問に答えることが必要である。

 

つまり、私はこの奉仕を個人として個人に捧げているのであろうか、それともグループのメンバーとしてグループに捧げているのであろうか。

 

そして、私の動機は魂の衝動であろうか、それとも、情緒、輝きたいという野心、愛され賞賛されることへの愛着に駆り立てられているのであろうかと。

 

この二つの活動は生命エネルギーを横隔膜より上に焦点化させ、太陽叢の引きつける力を無力にする。

 

したがって、太陽叢はますます不活発になり、その部位の網状組織が破損する危険性は ほとんどなくなるであろう。

 

3 眠りに入るときに意識を頭部に引き上げることを学びなさい。

 

これは、眠りに落ちるときに行う明確な実践として行うべきである。

 

知らぬ間に眠りに落ちることなく、アストラル界に意識的に移行するまで、意識をそのままの状態に保つように努めるべきである。

 

リラックス、細心の注意、頭部のセンターへのしっかりとした引き上げを試みるべきである。

 

というのは、眠りに入る過程全体をしっかりと意識し、同時に積極性を維持することを学び終えるまでは、この仕事には危険が伴うからである。

 

この最初のステップは知的に行うべきであり、たやすく抽出できるようになるまで数年にわたって行わなければならない。

 

4 瞑想のときであれ、眠りに入るときであれ、この引き下がりの過程に関連したすべての現象を記録し、見守りなさい。

 

例えば、多くの人々は眠りに落ちるときだけでなく、目覚めるときにも多くの場合に苦痛を覚えるであろう。

 

これは、意識が抜け出る網状組織が十分に開いておらず、出口が部分的に閉まっているためである。

 

頭部で強くて大きなパチッという音を聞く人もいるかもしれない。

 

これは、私たちが通常は自覚していない頭部内のヴァイタル・エアー(活力ある空気)によって引き起こされるもので、常に鳴っているが通常は感知されない音に気づかせる内的聴覚が敏感になったことによって起こるものである。

 

また、眠りに落ちるときに、光、色のついた雲、すみれ色の旗や流光のようなものを見る人もいるであろう。

 

これらはすべて、エーテル的な現象である。

 

このような現象は実際には重要ではなく、活力体、プラーナの放射、光の網状組織に関係するものである。

 

この実践を続け、この四つの規定に数年間従うことによって、死の床でのテクニックを非常に容易に行うことができるようになるであろう。

 

というのは、眠りに落ちるときに自分の肉体の処理を学んだ人は、その過程に注意を払ったことのない人よりも有利な立場にあるからである。

 

 


まとめると、

 

人間のエーテル体には脳の頭頂部に生命フォースの出口の穴があり、その出口をエーテル物質の細かい網状組織が保護しているが、その網状組織を打ち続けるクンダリーニエネルギーの圧力によって、遂には穴が開き、開口部ができる。

 

ということです。

 

先ほどのラムサの用語では、

「アセンションは、人間の体のすべてのエネルギー中枢を開き、潜在意識を完全に開花させることによって起こる。

 

覚醒は、脊髄の基底部にあるクンダリーニエネルギーを脳の休止状態の部分を起動させる第七シールまで上昇させた結果として起きる。」

 

とありましたので、どうやらクンダリーニエネルギーの働きは、頭頂のシール(チャクラ)のエーテル物質の網状組織に穴を開けるということのようです。

 

そうすると、「エーテル体の保護組織が破壊され、この世とアストラル界の間にある障壁が砕け落ちることになる。」ので、アストラル界を探検できるようになるようです。

 

シールというのは、封印という意味であり、新約聖書のヨハネの黙示録にも出てきます。

 

ヨハネの黙示録/ 05章 01節

 

またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。

 

表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。

 

また、一人の力強い天使が、

 

「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」

 

と大声で告げるのを見た。

 

しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。

 

この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。

 

すると、長老の一人がわたしに言った。

 

「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」

 

わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。

 

小羊には七つの角と七つの目があった。

 

この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。

 

小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。

 

巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。

 

この香は聖なる者たちの祈りである。

 

そして、彼らは新しい歌をうたった。

 

「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。

 

あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。

 

彼らは地上を統治します。」

 

 

この文章は、イエス・キリストが七つの封印(シール)を開いた覚醒した存在であるということを意味しています。

 

七つの封印というのは、閉じられた7つのエネルギー中枢のことであり、それらを開くことによって、人間はイエス・キリストが示したような能力を発揮することができるようになるのです。

 

新約聖書でイエス・キリストがクンダリーニエネルギーについて言及した箇所があります。

 

ヨハネによる福音書 04章 30節

 

人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。

 

その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、

 

イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。

 

弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。

 

 

「あなたがたの知らない食べ物」というのが、クンダリーニエネルギーであり、イエス・キリストはクンダリーニエネルギーを覚醒させていたことが読み取れます。

 

 

物質界とアストラル界の間にあるエーテルの膜は破壊されつつある

 

「第七光線の活動がますます活発になるにつれて、他にもいくつかの宇宙線が私たちの地球に作用するようになり、それらの影響の結果、新しい人種タイプの出現が促進され、とりわけ、目に見える触知できる世界と目に見えず触知できない世界であるアストラル界とを隔てているベールが取り除かれるであろう。

 

「エーテルの膜」と呼ばれるベールが人体内の様々なフォース・センターを隔て、ヘッド・センターをアストラル界から保護しているように、物質界とアストラル界の間には隔てる膜がある。

 

これは、宇宙線が私たちの惑星に作用することによって、ゆっくり確実に引き裂かれていくであろう。

 

物質界とアストラル界の間にあるエーテルの膜は破壊されつつある。

 

世界の敏感な人々と心霊主義者たちがもうすぐ起こると予言しているのはこの出来事である。」

 

 

もうすぐ起こると予言されているのは、物質界とアストラル界を隔てているエーテルの膜が宇宙線によって破壊されるとされています。

 

 

彗星とアセンション

 

この戦争が地球を覆い、こうして-地震に関して我々が述べたものを理解せよ-そのような事件がこの惑星上に突発する時、あの幕が取り払われ、引き裂かれる-そうは語られてはいないか?

 

肉と霊との間の幕が引き裂かれるのがわかるのである。

 

その時、霊の軍勢が戦いのそれに加わるが、それは肉体に住む者たち(の間)にだけあるのではない。

 

肉と霊との間には違いが見られなくなるであろう。

 

このようにあのハルマゲドンの戦いは描写される。

 

これらが空中から、霊から入ってくる時、この物理的地球上の戦争の中にそれが起こるのである。

 

こうして幕が引き裂かれ、もはや霊と肉との分離はなくなり、あらゆるものが新しい次元をとるのである。

 

これらのことがその時起こり、即座に広がるであろう。

 

この速さを観察し、『この場所に神殿を建立しよう』と言う言明があの国民の指導者たちから発せられる時に、終わりを予期し、雲間に主の栄光、主の光を探せ。

 

今でさえそれは存在するもの全ての上に光を放ち、光を近づけるため、その機会を与えるために、ここにスピードを増してくるのを見よ。

 

これが、この時代この惑星地球上にそれほどまで接近する神の光であり、存在するもの全てに光を放つことを理解せよ。

 

このクリスマス彗星、この光の球がこの地球上に最接近するその時に向かって自分自身を開き、この光を飲みほせ。

 

そのようにして自分をキリストの性質に与えられているもの全てと交わるようにせよ。

 

その終わりに向かって自分を準備せよ。

 

この光は、覚醒を与える最後の試みとして通過するからである。

 

 

 

霊と肉を分離している幕を彗星のエネルギーが引き裂き、あらゆるものが新しい次元をとる、つまり次元上昇が起きると予言されています。


我々地球人は、頭頂のエネルギー中枢にフタをされて、能力を発揮できない状態にされており、物質世界から抜け出して、アストラル界(幽界:一般の人が死後に行く4次元の世界)やメンタル界(霊界:解脱した人が行く5次元の世界)に行って活動するには、十分にエネルギーをためて、封印を破ることが必要になります。

 

アセンションに必要な禁欲


ホワイトブラザーフッドの第六イニシエートであるヒラリオン大師の教え(「寺院の教え」)

 

 性的節制と禁欲生活の本当の目的は、生命力即ち生命の本質を蓄えてより限られた範囲内に集中すること(ちょうどある一定の目的のためにガスか液体を圧縮するようなこと)である。

 

生命エネルギーを費やしたら能力と霊的発達のためにそれらのエネルギーを蓄えることができない。

 

人間が感覚によって左右されている限り、高級な創造力の支配には絶対に必要な萎縮してきた脳中枢を新たに活動させることはできない。

 

現在萎縮した松果腺は第六亜人種の時にもっと活動的となり、クンダリニーはそれを通して働くであろう。

 

松果腺すなわち第三の目の痕跡器官が新たに活動しクンダリニーの力が使用される時、クリヤー・シャクティの力の展開が可能となるであろう。

 

大いなる聖白同胞団のある組織に受け入れられた弟子に禁欲生活が要求されているということは、創造的な諸エネルギーを蓄えておき、それらを性器から心臓と頭脳のある中枢に回すことが必要なためである。

 

性の乱用あるいは好色のある面によって、光の天使達が悪魔の住み処、つまりこの物質界に入っていく橋がつくられ、また、もしも人類の進歩を促進し、霊的支配力を取り戻したいと思ったなら、天使達は反対の方向に創造エネルギーを向けて、その橋を反対の方向へと渡って天使の世界へと戻らねばならないことを学徒は知るはずである。

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 206ページ

 

38 不節制をしないことでエネルギーが得られる。

 

不節制は通常、動物性質の生命力つまり活力の浪費と見なされている。

 

物質界において創造し、種族を永続させる能力は、人間にできる最高の肉体的行為である。

 

放蕩生活と不節制による生命力の浪費は、肉体に対する大きな罪である。

 

それは、生殖行為の重要性についての認識、低位の欲求や快楽に抵抗する能力、自己統御が欠如していることを意味している。

 

この欠如の結果として、現在、人類家族全体に健康水準の低下が見られ、病院は満員になり、病んだ虚弱で無気力な男女と子供に至るところに見られるのである。

 

エネルギーはほとんど蓄えられておらず、そのため、「浪費」と「放蕩な人々」という言葉はまさに教訓になるものである。

 

弟子が最初にしなければならないことは、創造の真の性質を学び、エネルギーを蓄えることである。

 

独身生活を奨めているのではない。

 

大切なのは自己統御である。

 

しかしながら、熱誠家が道を辿る準備を整える比較的短い転生周期の間には、完全な統御を学び、低位の性的性質を完全に征服したという事実を実証するために、生殖行為をきっぱりと慎む生涯を一度、おそらくは数度送らなければならないかもしれない。

 

その国の法律を完全に守って、性的原理を正しく活用することが、すべての真の熱誠家に見られる特徴である。

 

エネルギーの保存という観点からこの主題を考察するのとは別に、熱誠家がこの問題に取り組むもう一つの観点がある。

 

それは(肉体器官を通して顕現する)生命原理を、発音器官を通しての顕現、つまり言葉による創造、というダイナミックな表現へと変性することである。

 

これが真の魔術師の仕事である。

 

オカルティズムを学ぶすべての人が知っているように、生殖器官と第三の主要センターである喉センターとの間には密接な関係がある。

 

このことは、生理学的には思春期に起こる声変わりからも明らかである。

 

エネルギーを真に蓄え、不節制をしないことによって、ヨギは言葉と音の使用を通してメンタル界における創造者になり、低位センターの活動で浪費されるエネルギーが集中され、魔術師の偉大な創造的仕事へと変性される。

 

これは節制、純粋な生活、高潔な思考によって行われるのであって、性的魔術のようなオカルト的な真理の誤用や、様々ないわゆるオカルト学校で教えられているひどい性的倒錯によるのではない。

 

後者は黒い道に通じるもので、イニシエーションの門へと導くものではない。

 

 

 

このように、ラージャ・ヨガでは、禁欲生活を送ることによって、エネルギーを蓄えて、シール・封印を破ることを目指します。

 

ラムサの覚醒についての定義では

 

「(クンダリーニ)エネルギーが小脳や中脳を貫くと、潜在意識が開かれ、覚醒と呼ばれる眩しい光を体験する。」

 

とあり、「覚醒と呼ばれる眩しい光」というのは、ジュワル・クール大師の書籍では「頭部内の光」と呼ばれています。

 

クンダリーニエネルギーと頭部内の光が融合すると、エーテル体を頭頂のチャクラから抽出させることができるようになります。

 

ホワイトマジック(下) アリス・ベイリー著 313ページ

 

この三つの火の混ぜ合わせは、高度に組織された均整のとれた人格の持ち主と、注目を頭部に焦点化し、その高い点からすべての融合過程を指図する能力を達成している人だけが安全に行うことができる。

 

そのためには、意識を文字通りエーテル体の中に引き込み、しかも同時に――完全に自覚しつつ――頭部との接触点を保ち、その点から自動装置である肉体を指図する能力が必要である。

 

これに成功するためには、肉体のエーテル状態がある状態にあることが前提である。

 

このような状態の一つとして、脊柱に沿って存在する遮蔽膜を(部分的、もしくは完全に)焼き払い、取り去る過程がある。

 

この遮蔽膜は、最低位のセンターに静かに眠っている一般にクンダリーニの火と呼ばれている脊柱基底部の火が自由に上昇するのを妨げている。

 

このクンダリーニの火は「上昇させるためにとぐろを解かなければならない、眠れる火」である。

 

脊柱の各センターは、エーテル質料と気体状の質料の不思議な組み合わせでできている編み込まれた保護膜によって、上のセンターとも下のセンターとも分離されている。

 

これは、肉体の火が妨げられずに流れることが可能になる前に、焼き払われ消し去られなければならない。

 

ナディーとセンターのネットワーク全体は神経と内分泌系の基礎になるものであり、その精妙な対応物である。

 

脊椎という杖にある五つのセンターの間にはこのような編み込まれた円盤状の「膜」が四つ、









のような形で存在しており、頭の中にも三つ存在する。

 

この三つはそれぞれ頭部を二等分しており、*のような形で複数の十字架を形成している。

 

頭部内のこの十字架はアジュナ・センター(眉間センター)とヘッド・センターを分離している。

 

というのは、それは額にあるそのセンターの背後にあり、同時にアジュナ・センターと喉センターの間にあって、保護する楯になっているからである。

 

このエーテルの膜は実際に円盤状であり、特定の速度で回転しており、その速度はセンターによって異なり、そのセンター・システムの進化状態に応じても異なっている。

 

上昇する火と下降する火によってこれらの膜が焼き払われたとき初めて、真のセンターを見ることができる。

 

多くの透視者はセンターとそれらを保護しているこの対応物を混同している。

 

というのは、この対応物にも特有の放射と光があるからである。

 

浄化と訓練を通して、生活がますます高い波動に到達するにつれて、文字通りマインドの火である魂の火がセンターの波動を高めるようになる。

 

そして、この活動が高まることによって、保護する「膜」、つまりセンターの両側にあるプラーナ・エネルギーの円盤との接触が確立される。

 

このようにして、相互作用を通して、それらは次第に取り除かれ、やがてそれらは、このような不十分な用語を使ってもよければ、貫かれるようになる。

 

学ぶ多くの人々が、自分がすでに脊柱基底センターのクンダリーニの火を上昇させ、その結果、急速な進化を遂げていると思いこんでいるが、彼らが成し遂げたことと言えば、脊柱上のいずれかの膜を焼いたか「擦り切らせた」だけである。

 

脊柱のどこかに焼けるような感覚や苦痛があって、それが生理学的な原因によるものではないとき、多くの場合、その場所に関係するセンターの活動によっていずれかの膜が貫通したためである。

 

これは女性の場合には、太陽叢センターに関係するところで起こることが非常に多く、男性の場合は、仙骨センターに関係して起こることが多い。

 

これらのセンターは両方とも――進化的な発達の結果として――極めて活発で高度に組織化されている。

 

というのは、それらは肉体の創造的な性質と情緒体の表現だからである。

 

したがって、背中に感じる焼けるような感覚や苦痛は通常、センターが過剰に活動していることを示しており、保護する器官に破壊的な結果を与えるものであって、霊的な発達や優越性を示す真の徴候ではない。

 

霊的な発達や優越性を示している場合もあるが、真に霊的に成長しているとき、実際にはこれに関連して痛みや危険は起こらないということを覚えておくべきである。

 

クンダリーニの火の上昇について多くのいい加減なことが話され、この問題は非常に誤解されてきた。

 

クンダリーニの火を上昇させることは非常に難しいということ、そして意志の明確な行使と、頭部内の意識の玉座に座す人間の強烈なメンタル的な焦点化と集中した注目によって、初めて可能になるということを私はあなた方に確言する。

 

メイソン派の伝統では、偉大なるマスター・メイソンの昇天という美しい儀式に、これに関する教えが明確に保存されてきた。

 

五つの性質の統一した努力を行い、失敗を繰り返した後に初めて、活性化する生命が体全体に勢いよく流れ、真なる人間を生き返らせるのである。

 

私が触れたい第二の点は、このような深く秘教的な実践は熟練した教師の指導のもとでのみ行われなければならないということである。

 

平凡な決まり文句になっているが、「弟子の準備が整ったときに大師は現われるであろう」と、熱誠家は聞かされてきた。

 

そのため、彼は気楽に座って、大師を待つ。

 

あるいは、自分には準備ができており十分に善良であるという思いを明確にマインドに据えて、ある大師の注目を引きつけようという試みに集中する。

 

彼は自分自身に時々霊的な激励を与え、訓練と浄化の実践に発作的に精を出す。

 

しかし、着実に長期にわたって横道に逸れることなく熱誠家が努力することはまさに稀である。

 

適切な時に大師が現われるというのは実際に本当である。

 

しかし、この適切な時とは、ある自己誘発された状態によって決まる。

 

浄化過程が一生の習慣になり、意のままに意識を頭部に集中できるようになり、頭部に光が輝き、諸センターが活発になったとき、大師はその熱誠家に着手するであろう。

 

それまでにも、彼は大師のヴィジョンを見るかもしれない。

 

もしくは大師の想念形態を見て、それに反映されたリアリティー(実相・実在・真実)との接触から多くの真の美徳とインスピレーションを得るかもしれない。

 

しかし、それは大師ではなく、また受け入れられた弟子の段階に達したことを示すものでもない。

 

魂の光を介して魂を知ることができる。

 

そのため、自分自身の魂の光を求めなさい。

 

そして、その魂があなたの指導者であることを知りなさい。

 

魂との接触が確立されたとき、あなた自身の魂が――このように表現してもよければ――あなたの大師をあなたに紹介するであろう。

 

さらにすべての尊敬を込めて付け加えると、大師はあなたの知人になることを切望して待っているわけではない。

 

魂の世界ではあなたの魂と大師の魂はつながっており、本質的な統一性を知っている。

 

しかし、人間の世界において、そして偉大な働きの過程において、大師が熱誠家を彼の弟子のグループに加入させたとき、その熱誠家は長い間お荷物であり、しばしば邪魔者であるということを覚えておかなければならない。

 

学ぶ人々はしばしば自らを過大評価しており、そうは思わないときでさえ実際には過大評価している。

 

彼らは主観的に自分のことを気に入っており、なぜ偉大な方々が印を与えないのか、なぜ見守っていることを示さないのかとしばしば疑問を抱く。

 

熱誠家が、より低位の教師たち、本、印刷された世界の聖典などから得た知識を完全に活用できるようになるまで、大師はそのようにはしないであろうし、そうする必要もない。

 

当面の義務に精を出し、世界への奉仕のために自分のメカニズムを整備しなければならない。

 

そして、大師を求めることで時間を無駄にすべきではない。

 

いま挫かれたところで勝利を得るべきであり、そしてそのときに、奉仕と苦闘の生活を送ることで完全な忘我の域に達し、大師の接近を阻むものはなくなるであろう。

 

したがって、以上のことから、センターの目覚めと、エネルギーの解放をもたらすエーテルの膜の焼却についての明確な教えを与えることができないことが分かるであろう。

 

そのような情報は、何か新しいものはないかという気持ちに駆り立てられ、正しい平静と必要なメンタル的発達を欠いている一般大衆の手に委ねるにはあまりにも危険であり、あまりにも複雑である。

 

しかしながら、神経系の基礎にエネルギーの体があるという事実が広く世間に認識され、七つのセンターの性質、その構造と位置が厳密に把握され、それらの開花の法則が広く知られるべき時が訪れた。

 

しかし、それ以上のことを安全に伝えることはまだできない。

 

このセンターの科学の性質は、一般に役立てるにはあまりにも大きすぎる。

 

特定のケースにおいて提供される教えと適用されるべき方法は、一般的な規定や教えとして与えるには、あまりにも多くの要因に依存している。

 

光線とタイプ、性別と進化段階を考慮しなければならず、また諸センターのバランスも考慮しなければならない。

 

つまり、過剰に発達しているか、もしくは未発達であるか、横隔膜よりも下のエネルギーと上のエネルギーのどちらが優勢であるか、主要なエネルギーが中央交換所である太陽叢に集中しているかどうかについて考察しなければならないのである。

 

頭部内にある光の特質と輝きも詳しく調べなければならない。

 

というのは、それは魂による統御の程度、諸体の相対的な純化の度合を示しているからである。

 

また、様々なエーテルの「膜」を慎重に扱うべきであり、膜とセンターの振動率も検討しなければならない。

 

共振が確立されなければならないが、これを引き起こすのは極めて難しい。

 

これらは、教師が着目しなければならない点のうちごくわずかなものにすぎない。

 

したがって、総合的なヴィジョンを達成し、人を「全体的」に、つまりありのままに見ることのできる教師だけが、センターの太古からのリズムを逆転し、保護する覆いを苦痛と危険を伴わずに破壊し、クンダリーニの火を脊柱基底部から頭部内の出口へと上昇させる指導を与えることができるのである。


魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 287ページ~

 

24 象の力に一点集中した瞑想によって、そのフォースつまり光が目覚める。

 

この書は科学的な教科書であり、次のことを目的としていることを覚えておく必要がある。

 

1 精妙な領域へ入ることができるよう熱誠家を訓練すること。

 

2 マインドを支配する力を与え、その結果として、マインドをより高位の世界のヴィジョンを得るための器官として、そして魂と脳との間の伝導体つまり媒介として意のままに使用できる道具にすること。

 

3 頭部内の光を目覚めさせること。

 

その結果、熱誠家は光を放射する中心になり、すべての問題に光を当て、その光を通して至るところに光を見ることができるようになる。

 

4 肉体の火を目覚めさせること。

 

その結果、センターは活性化し、光り輝き、相互に結びつき調整統合される。

 

5 以下のものの間に調整統合を生み出すこと。

 a それ自身の界層におけるエゴつまり魂。

 b マインドを経由しての脳。

 c センター。意志の行使によってすべてのセンターが一致した活動を行うようになる。

 

6 その結果、それまでは眠っていた脊柱基底の火(クンダリーニエネルギー)が目覚め、安全に上昇できるようになり、究極的には頭部内の火つまり光と融合し、魂が使用できるようにするために「あらゆる不純物を焼き尽くし、すべての経路を清めて」出て行く。

 

7 このようにして魂の力、つまり高位と低位のシッディ(超能力)を発達させ、人類に仕える有能な奉仕者が生まれる。

 

この7つの目的を忘れずに、脊柱基底センターつまりムラダーラ・センターの象徴が象であることに注目してほしい。

 

それは強さ、集中した力、偉大なる原動力の象徴であり、ひとたび目覚めると、何も敵ではなくなる。

 

それは私たち第五根本人種にとっては、動物王国の中で最も力強いものの象徴である。

 

それは動物的な性質の変性つまり昇華の一つの描写である。

 

というのは、脊柱基底には象がおり、頭頂では千枚の蓮華がその中心に座すヴィシュヌを隠しているからである。

 

このようにして動物的な性質は天国へと掲げられるのである。

 

この「象の力」を瞑想することで、第三様相の力、つまり物質そのもの、聖霊なる神、ブラフマのエネルギーが目覚め、第二様相つまり意識様相、魂のエネルギー、ヴィシュヌ、キリストのフォースと結合する。

 

これは完全な一体化、つまりラージャ・ヨガの目標である魂と肉体の合一を引き起こす。

 

25 目覚めた光への完全に集中した瞑想によって、精妙なもの、隠されたもの、遠くにあるものを意識することができる。

 

肉体の中に光り輝く点があり、(それに接触したときに)弟子の道の上に霊の光が注がれ、道を照らし、すべての問題の解決法が明らかになり、弟子が他の人々に光をもたらす者になれることが分かるであろう。

 

この光は内的な放射という性質を帯びており、頭部内の松果腺の近くに位置し、魂の活動によって光を放つようになる。

 

肉体で行われ修得されるヨガの科学において、「中心器官」とはヘッドとハートのことを指し、その違いは第一に時間の違いである。

 

道における初期の発達段階においては、ハートが中心器官である。

 

後に、真の光が住む場所のある頭部内の器官が中心器官になる。

 

開花過程において、ハートの発達がヘッドの発達よりも前に起こる。

 

人類全体について研究すると分かるように、マインドよりも前に情緒性質と感覚が開花する。

 

ヘッド・センターよりも前にハート・センターが開く。

 

力を安全に使えるようになる前に愛が発達しなければならない。

 

したがって、生命の光を意識的に用いることができるようになる前に愛の光が機能しなければならないのである。

 

ハートにある蓮華のセンターが開き、神の愛を明らかにしたとき、瞑想によってヘッドでも同時に開花が起こる。

 

ヘッドの十二枚の花弁を持つ蓮華が目覚める。

 

萎縮していた松果腺が徐々に完全に機能するようになり、意識の中心は情緒性質からイルミネーションを受けたマインド意識へと移行する。

 

頭部内にある力の点からヨギは自らの出来事と行動すべてを方向づけ、あらゆる出来事、状況、問題に対して「目覚めた内なる光」を投げかける。

 

そのとき、彼は愛、洞察、知恵によって導かれる。

 

愛の性質を変性して、ハート・センターを目覚めさせ、太陽叢の火をハートに移行させることによって、この知恵は彼のものになるのである。

 

中心器官の光輝と内なる輝きの放射を生み出す、ハートとヘッドのこの結合は、以下のようにして成し遂げられる。

 

1 低位性質の征服によって。

 

太陽叢を含む下位のすべての生命活動を、横隔膜よりも上にある三つのセンター(ヘッド、ハート、喉)に移行させる。

 

これは生命、愛、奉仕を通してなされるのであって、呼吸法やただ発達を待つことで起こるのではない。

 

2 愛を実践することによって。

 

そして、ハートに満ちた生活と奉仕に注目を集中することによって。

 

さらに、ハート・センターが人間における魂の反映であり、眉間にある玉座からこの魂がハートを溢れ出させなければならないことを認識することによって。

 

3 瞑想に関する知識によって。

 

「エネルギーは思考に従う」というヨガの基本公理の良い例である瞑想を通して、熱誠家が望むあらゆる開花と発達が起こる。

 

瞑想を通して、未発達の人間の場合は下向きの閉じた蓮華として描写されるハート・センターが逆転し、上を向き、花開く。

 

その中心に愛の光がある。

 

上向きになったこの光の放射は神への道を照らすが、それは道そのものではない。

 

しかし、私たちが(低い意味での)ハートが欲するものを踏みつけたとき、その道が私たちを道そのものへと導くのである。

 

道の一部が私たち自身の内にあり、ハートがこれを明らかにするということを認識すれば、おそらくその意味はより明瞭になるであろう。

 

それは私たちをヘッドへと導き、そこで私たちは厳密な意味での道の最初の門を見つけ、生命の道に足を踏み入れる。

 

その道は私たちを肉体生命から引き離し、三界と肉での経験からの完全な解放へと導く。

 

4 ヘッドへの完全に集中した瞑想によって。

 

これによって自動的に脊柱上の五つのセンターが刺激され、目覚め、眉間にある第六のセンターが目覚め、やがて頭頂にある出口が熱誠家に明らかになる。

 

それは純粋な白い光が輝く円として見ることができる。

 

これは最初、針先のような点にすぎないが、様々な段階を経て栄光と放射光が増大し、最後には門そのものがあきらかになる。

 

この頭部内の光は偉大な啓示者、偉大なる浄化者であり、「あなたがたの光を輝かしなさい」というキリストの教えを弟子が達成するための手段である。

 

生得財産を手にした、もしくは手にしようとしているすべての神の子たちの頭の周囲に見られる後光、光の輪を生じさせるのはこれである。

 

この光を通して私たちは精妙なもの、つまり精妙な諸体を意識的に使用したときにだけ知ることができるものに気づくようになる。

 

この精妙な諸体は、私たちがアストラル界やメンタル界のような内界で機能するための手段である。

 

この光を通して、私たちは隠されているもの、まだ明らかにされていないものにも気づくようになる。

 

自分の光を輝かせている人には神秘が明らかにされ、その人は知る者になる。

 

遠くにあるものや未来もまた同様に彼には明らかになる。

 


ハイラーキの出現 (上) アリス・ベイリー著 34ページ

 

すべての秘教学校では、必然的かつ当然のことながら、瞑想に重点が置かれる。

 

専門的に言うと、瞑想とは、ヘッド・センターを目覚めさせ、統御し、使用する過程である。

 

そのようになったとき、魂とパーソナリティーが調整統合されて融合し、一体化が起こり、熱誠家に対して途方もない霊的なエネルギーが流入し、その人の存在全体が活気づけられ、潜在する善や悪が表面に浮かび上がることになる。

 

ここに大きな問題と大きな危険がある。

 

そのため、そのような真の学校では純粋さと正直さの必要性に重点が置かれるのである。

 

肉体を浄化することの必要性が過度に強調されてきたが、どのような狂信や不寛容にも陥らないようにすることが十分に強調されることはなかった。

 

この二つ、つまり狂信と不寛容は、間違った食生活よりも遥かに妨げになり、他のどの要素よりも分離主義の炎を煽るものである。

 

瞑想には、一点に集中した生活を常時そして毎日送ることも含まれる。

 

そうすることによって、静止していた脳細胞が活動へと駆り立てられ、脳意識が魂の光に目覚める。

 

そのため、脳細胞は否応なく過度の緊張にさらされることになる。

 

この秩序立った瞑想の過程を長年にわたって実践すると共に、瞑想的な生活を送り、ひたむきな奉仕を行うことによって、組織全体がうまく刺激を受け、低位人間は霊的人間の影響を受けて、その統御下に置かれる。

 

さらに、エーテル体のフォース・センターが目覚め、脊柱基底に眠る神秘的なエネルギーの流れが活動へと刺激される。

 

この過程が、慎重かつ適切な安全防護対策を施した上で、監督を受けながら実践されるとき、しかもその過程が長い期間にまたがるとき、危険に陥る恐れはほとんどなくなり、目覚めは存在そのものの法則に従って正常に起こるであろう。

 

しかし、その人が準備を整え、諸体を統合し発達させる前に、調整や目覚めが無理に試みられたり、様々な種類の実践によって引き起こされたりするならば、熱誠家は災難に向かうことになる。

 

呼吸法つまりプラーナヤマ訓練法は、専門的な指導がなければ、そして霊的な専心、献身、奉仕を何年間も続けてきた後でなければ決して行ってはならない。

 

(目覚めさせるという目的で)フォース体のセンターに集中することは絶対に避けるべきである。

 

刺激が過度になり、閉じるのに苦労するアストラル界への扉を開くことになるからである。

 

この転換期に適したヨガとは、ひたむきな意図と目的の方向性をしっかりと保ち、神の臨在の実践を絶えず行い、秩序立った定期的な瞑想を体系的かつ着実に何年間にもわたって実践するヨガであるということを、すべての秘教学校の熱誠家に対していくら強く印象づけても強すぎることはない。

 

無執着にこれを行い、それと並行して愛ある奉仕の生活を営むならば、センターの目覚めと眠っているクンダリーニの火の上昇は安全かつ健全に進行し、組織全体が不可欠な「生き生きとした」段階に達するであろう。

 

一度に何時間も強烈な瞑想過程を行うことや、肉体の火を喚起し、特定のセンターを目覚めさせ、蛇の火を動かすことを目的にした実践をやめるよう、いくら強く忠告しても強すぎるということはない。

 

現在、世界全体に対して強力な刺激が加えられており、また平均的な熱誠家は敏感かつ繊細にできているため、過度に瞑想を行い、狂信的な食生活を送り、睡眠時間を短縮し、サイキック体験に対して必要以上に興味を抱き強調することは、精神のバランスを乱し、しばしば取り返しのつかない害悪を及ぼすことになるであろう。

 

秘教学校で学ぶ人々は、着実で静かな、感情的ではない活動に取り組むようにし、学習や瞑想に何時間も連続して没頭することは慎みなさい。

 

諸体はまだ必要な緊張に耐えることができず、自分自身に損傷を及ぼすだけである。

 

日常の義務や奉仕に追い立てられながらも、自分が本来誰であり、自分の目的と目標が何であるかを思い起こしつつ、正常で多忙な生活を送るようにしなさい。

 

15分という長さから始め、決して40分を超えないよう、毎朝規則正しく瞑想しなさい。

 

奉仕に専念し、自分自身のサイキック的な発達に関心を集中させないようにしなさい。

 

適度な学習によってマインドを鍛え、知的に考えるようにしなさい。

 

そうすることで、マインドは情緒とのバランスを保つと共に、認識が高まり意識が拡大するにつれて、自分が接触するものを正しく解釈できるようになる。


魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 55ページ

 

低位性質全体の統御と変性を完了し――モナド、つまり霊、「在天の父」と接触し、モナドが知覚するものをはっきりと認識できる高位の弟子たちは次の能力によって真のサマーディ、つまりオカルト的な抽出の状態に達する方法を知っている。

 

つまり、ヘッドの千枚の蓮華にエネルギーを引き上げ、そこから他の二つの精妙体を通してエネルギーを抽出し、ついにはすべてのエネルギーをコーザル体、カラナ・サリラ、魂の蓮華の中心に集めて焦点化する能力である。

 

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 77ページ~

 

第一の書 30 魂を認識する上で障害になるのは、肉体的無能、知的惰性、間違った疑問、不注意、怠惰、平静の欠如、誤った知覚、集中を達成する能力の欠如、そして瞑想的な態度を達成したときにその態度を維持できないことである。

 

障害Ⅰ 肉体的無能

 

興味深いことに、最初の障害は肉体に関するものである。

 

熱誠家はこれをよく覚えておき、後に肉体に課される要求に適うよう物質媒体を調整するよう努めるべきである。

 

このような調整は広範囲にわたるもので、四つのグループに分けられる。

 

1 病気などの発生に対する免疫を肉体につける。

 

これは以下のような三重の過程である。

 

a 今かかっている病気を治す。

b 最終的に肉体を再構築するために、肉体を精製浄化する。

c 将来の発病から肉体を予防し、魂の媒体として活用する。

 

2 最終的に波動を上げることでフォースの方向づけを安全に行えるようにするために、エーテル体を強化精製する。

 

というのも、弟子はこの方向づけのために使うフォースをエーテル体を通して流さなければならないからである。

 

3 エーテル体のセンターを開花させて目覚めさせ、エーテル体の火を集中させる。

 

そして、魂の火と合一させるためにそれらを脊柱に沿って正しく上昇させる。

 

4 肉体の二つの部分を調整統合し、続いて磁力的な絆であるスートラートマつまり糸を経由して肉体を魂と整列させる。

 

ヨガの最初の三つの方法を実践し、それに熟達した後に初めて、この三つ目の調整を安全に行えるようになる。

 

最初の三つの方法とは――

 

1 五つの訓戒(第二の書、スートラ30と31)

 

30 無害であること、すべての存在に対して真実であること、盗まないこと、不節制をしないこと、貪欲にならないこと、これらがヤマつまり五つの訓戒である。

 

31 五つの訓戒は普遍的な義務であり、人種、場所、時間に関係なく、また非常時においても守らなければならない。

 

2 五つの規範(第二の書、スートラ32から46)

 

32 内面と外面の浄化、満足、燃えるような熱誠、霊的な読解、イシュヴァラへの献身が五つの規範である。

 

33 ヨガに反する想念が生じたときには、それとは反対の想念を養うべきである。

 

34 ヨガに反する想念とは、有害さ、虚偽、盗み、不節制、貪欲である。

 

自分自身で犯したものであれ、犯すように強いられたものであれ、賛成しただけであれ、貪欲や怒りや惑わし(無知)から生じたものであれ、少しだけ、中くらい、あるいは多く行われたものであれ、同じことである。

 

それらは常に極めて大きな苦痛と無知を生み出す。

 

そのため、それとは反対の想念を育てなければならないのである。

 

35 無害性を完成させた者の前では、すべての敵意が止む。

 

36 すべての存在に対して完全に真実になったとき、言葉と行動の効果が直ちに現われる。

 

37 盗みを全く犯さなくなったとき、ヨギは欲するものを何でも得ることができる。

 

38 不節制をしないことで、エネルギーが得られる。

 

39 貪欲さが完全になくなったとき、再生誕の法則が理解される。

 

40 内面と外面の浄化によって、自分自身の形態とすべての形態に対する嫌悪が生じる。

 

41 浄化によって、静かな生気、集中、器官の征服、そして真我を見る能力も生まれる。

 

42 満足の結果として、至福が達成される。

 

43 燃えるような熱誠とあらゆる不純物の除去によって、肉体能力と感覚は完全なものになる。

 

44 霊的な読解によって、魂(神聖な唯一なる者)と接触するようになる。

 

45 イシュヴァラへの献身を通じて、瞑想の目標(サマーディ)が達成される。

 

3 正しい姿勢(第二の書、スートラ46から48)

 

46 安定した楽な姿勢でいなければならない。

 

47 少しばかりの努力を続け、マインドを無限なるものに集中することによって、安定した楽な姿勢が達成される。

 

48 これを達成したとき、もはや相反する対をなすものは限定にはならなくなる。

これはヨガを志す熱誠家がしばしば忘れる点である。

 

そのため、時期尚早にセンターを目覚めさせ、蛇の火を眠りから起こそうとする人々に災難や異常がしばしば起こるのである。

 

社会的な営みに対する熱誠家の関係全体が(訓戒に述べられているように)健全なものになり、三つの低位性質の浄化と統制が(規範で示されるように)行われ、情緒性質がバランスのとれ統御された状態になり、正しい姿勢が達成されたときに初めて、ラージャ・ヨガを志す熱誠家は自らの小さな太陽系の火に関係する、より秘教的かつオカルト的な実践に安全に着手できるようになる。

 

この点はいくら強調しても強調しすぎるということはない。

 

弟子道の非常に進化した段階にある人だけが安全に、生命の火を意識的に扱い、脊柱に沿って正しく上昇させることができるのである。

 

しかし、「法則と訓戒を守る」者はまだほとんどいない。

 

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 217ページ~

 

瞑想の目標は、聖なる内的自己に接触し、その接触を通して、その自己とすべての自己、そして全我との統一を、ただ理論的にではなく自然界における事実として認識する能力を得ることである。

 

これは、「サマーディ」と呼ばれる状態が達成されたときに起こる。

 

その状態において、思考者の意識は低位の脳意識からそれ自身の界層での霊的人間つまり魂の意識へと移行する。

 

この移行の段階は次のようであると言うことができる。

 

1 肉体の意識――つまり、肉体人間の外へと向かおうとする本能的な意識――を頭部に移行させる。

 

そのためには、松果腺近くにある脳内の点に意識を意識的に撤退させ、そこにしっかりと意識を集中させることが必要である。

 

2 意識を頭部つまり脳からマインドつまりメンタル体に移行させる。

 

この移行において、脳は鋭敏な状態に保たれ、撤退はエーテル体を経由して意識的に行われる。

 

これにはブラフマランドラ・チャクラつまり頭頂の開口部が使われる。

 

どの点においても無意識的つまり睡眠状態のトランスに陥ることはない。

 

この抽出つまり撤退の過程は肯定的な状態で行われ推し進められる。

 

3 メンタル体から、コーザル体つまり魂の蓮華に座すエゴ、魂へと意識を移行させる。

 

そのとき、脳とメンタル体とエゴ体が生き生きとした鋭敏で積極的なしっかりとした凝集性のある静かな統一体になる状態が成し遂げられる。

 

4 そのとき、サマーディつまり霊的観照の状態に入ることが可能になる。

 

魂はそれ自身の世界を見晴らし、ありのままのものごとをヴィジョンとして見て、リアリティーに接触し、「神を知る」。

 

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 233ページ~

 

集中、瞑想、観照(ヨガの最後の三つの方法)を実行することが適切になる前に、外的な行動を正し、内的な純粋さを達成し、すべてのものに対する正しい態度を養い、その結果として、生命の流れを統御するだけでは十分ではなく、外に向かおうとする五感の傾向を支配する能力も獲得しなければならない。

 

そのため、熱誠家は現象界に出ていこうとする意識を正しく撤退つまり抽出させるよう教えられるのであり、意識を頭部内の偉大な中心ステーションに集中させることを学ばなければならないのである。

 

その中心ステーションから彼は偉大なる仕事に参加するときにエネルギーを意識的に配分し、そこから魂の領域に接触することができ、またそこでその魂の領域から発せられるメッセージや印象づけを受けることもできる。

 

感覚知覚の様々な経路は静かな状態になり、真の人間の意識はもはや五つの接触経路に沿って外に向かうことはなくなる。

 

五感は第六感覚であるマインドに支配され、熱誠家のすべての意識と知覚能力は頭部内で統合され、内と上へと向かうようになる。

 

その結果として、サイキック性質は征服され、メンタル界がその人の活動領域になる。

 

この撤退つまり抽出の過程は次のような段階に従って進む。

 

1 肉体の意識、つまり、聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚による知覚の撤退。

 

これらの知覚手段は一時的に休眠し、知覚はメンタル的なものだけになり、物質界において脳意識だけが活発になる。

 

2 松果腺の部位への意識の撤退。

 

その結果、その人の認識点は額の中心と松果腺の間の部位に集中される。

 

3 次の段階では、意識を故意に頭部の外に引き出すことによって、意識をヘッド・センター、つまり千枚の蓮華、サハサラへと抽出する。

 

これは、いくつかの規定を学び、行うべきいくつかのことを成し遂げているならば、完全に目を覚ましているときの意識で行うことができる。

 

これらの規定はこのような本の中で述べることはできない。

 

大部分の人々は最初の二つの段階を修得し、五感という知覚経路を統御することを学ばなければならない。

 

4 意識をアストラル体に抽出し、そうすることで意識を物質界から解放する。

 

さらに意識をメンタル体つまりマインドへと撤退させ、肉体もアストラル体も人間をもはや限定したり束縛したりすることがないようにする。

 

5 これができたとき、真の瞑想と観照が可能になる。

 

したがって、正しい抽出つまり撤退の結果は簡潔に次のように言うことができる。

 

1 第六感覚であるマインドによる感覚の統合。

2 三重の低位人間の整列。その結果、三体が調整統合された一単位として機能する。

3 三体の限定からの人間の解放。

4 その結果として、マインドを介して肉体脳に印象づけ、イルミネーションをもたらす魂つまりエゴの能力が生じる。

 

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 279ページ~

 

21 形態と肉体の違いに集中した瞑想を行うことで、肉体を人間の目に見えるようにしている肉体の特性は打ち消され(撤去され)、ヨギは自分の姿を見えなくすることができる。

 

第一に、エーテル体つまり活力体と、濃密な物質体を形あるものに保つ磁力的フォースとしてのその機能について認識することが必要である。

 

このエーテル体を基礎にして、肉体は凝集性のある統一体になり、その客観性が観察できるものになる。

 

オカルティストの観点から見ると、真の形態は目に見える濃密な鞘ではなく、この活力体である。

 

ヨギは集中と瞑想によって、意識の中心を真の霊的人間に置き、思考原理を統御する能力を獲得する。

 

訓練を積んだ見る者は意のままに自らの意識を物質界から撤退させて、メンタル界に置くことができる。

 

彼は意のままに「光を遮断する」ことができ、そのとき可視性は打ち消され、(人間の目から見ると)彼の姿は消える。

 

彼に触れることも、その音を聞くこともできなくなる。

 

何らかの形のエネルギー以外のものは存在せず、そのエネルギーは三重であるという仮説の真実性を実証するのはこの事実である。

 

霊(つまりエネルギー)の顕著な特性は生命原理、つまり、すべてのものを存在させて維持している神秘的なものである。

 

魂(つまりフォース)の顕著な特性は光である。

 

それが存在するものを目に見えるものにしているのである。

 

生きている物質の顕著な特性は、客観的な肉体の「下に立ち」、その背後にあり、真の形態を提供するものであるということである。

 

すべてのオカルト的な教えとすべての現象の基礎が次の言葉の中にあるということを、ここで覚えておかなければならない。

 

物質はこの存在界層に魂が顕現するための媒体であり、魂はより高い螺旋上において霊が顕現するための媒体である。(『シークレット・ドクトリン』原書・第1巻80ぺージ)

 

魂(つまりフォース)が物質様相(目に見える客観的な形態)から撤退したとき、形態は見えなくなる。

 

それは消滅し、一時的に消散される。

 

現在のところ、これは見る者が自らの意識を魂(つまり霊的人間、エゴ)に集中させ、(思考原理の使用と意志の行使によって)エーテル体を濃密な肉体から撤去することによって十分に達成される。

 

これは「抽出」という言葉で表わされ、それには次のことが必要である。

 

1 肉体の生命つまり活力を物質界の脊柱にある神経センターに集める。

 

2 それを脊住に沿って頭部に上昇させる。

 

3 それを頭部に集中させ、松果腺とブラフマランドラ・チャクラを経由して、糸つまりスートラートマに沿って抽出する。

 

4 その結果、見る者は自らの真の形態、つまり人間の目には見えないエーテル体に位置するようになる。

 

人類のエーテル視力が発達するにつれて、さらなる抽出が必要になり、見る者はさらに活力原理と光輝原理(サットヴァとラジャスの特質)をエーテル体から撤去させ、カーマ体つまりアストラル体に位置することで、エーテル的にも不可視になる。

 

しかし、これはまだまだ遠い未来の話である。

 

この全過程は一点集中した瞑想を行った結果、初めて可能になる。

 

そのため、思考原理を統御し、それ自身の界層での思考者とマインドと脳がスートラートマ(糸、磁力的な白銀の糸)を経由してすべて整列し調整統合されたときに可能になる直接的な整列を築き、それを作動させる作業に必要な長い鍛錬と訓練を行っていない人間には不可能なのである。

 

魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ経典 アリス・ベイリー著 311ページ~

 

32 頭部内の光に焦点化することによって、自己統御を達成した方々を見て、接触することができる。

 

この能力は一点集中した瞑想を通して発達する。

熱誠家が頭部内の光に気づき、それを意のままに活用できるようになり、自らが知ろうとするものすべてにその放射を向けたとき、彼はそれを自らが三界で機能する知識領域へと外に向けるだけではなく、内へと、そして神の聖者たち、偉大なる「証人の群れ」が歩む領域へと上に直接向けることもできるようになる。

 

したがって彼は、それを介して、大師とアデプトとイニシエートの世界を意識するようになり、完全に目を覚ましているときの意識で彼らと接触し、その接触を肉体脳で感知できるようになる。

 

そのため、自分自身の光に気づき、ランプを磨き、自らの内にある光を最大限に利用することが必要なのである。

 

それを用い、養うことによって、霊的な光の力は成長し、磨かれ、二重の機能を発達させるようになる。

 

熱誠家は光、つまり暗き所に置かれたランプになり、他の人々のために道を照らす。

 

このようにして初めて、内なる光を炎へと扇ぎ立てることができるのである。

 

他の人々を照らし、ランプになるというこの過程は常に、神秘家がランプと光を別の領域に向けて、大師方が働き歩む世界への「逃げ道」を見つけるという素晴らしい経験をする前に進められなければならない。

 

自分自身の光を点し、自身のランプを磨くことで、このような方々の世界に突き進む手段を持つに至った人々だけが、このような方々を見つけることができるのである。

 

「輝いた顔」を生むのはこの光である。

 

聖者や大師方の頭の周囲に描かれる後光はこれに起因するものであり、透視力のある人々にはすべての進歩した熱誠家と弟子たちの頭の周囲にもこれが見える。

釈迦の後光1

釈迦の後光2

この光は少しでもヨガの実践に携わった人々ならば馴染みのあるものであり、眉間に集中することによっても見ることができる。

 

この光に対する瞑想によって、見えざる空間を歩むことができるシッダと呼ばれる一団 ―― 神智学徒がマハトマとか高位のアデプトとか呼んでいる存在者方 ―― が、時間と空間の障害をものともせずに、直ちに視界に入る。

 

33 直観の生き生きした光の中ではすべてを知ることができる。

 

「直観の光」とは、イルミネーションをもたらすこの種の知識を指すために用いられる用語の一つである。

 

こうした直観の閃きは、最初は単にイルミネーションの鮮明な閃きでしかなく、突然マインド意識の中に割って入り、ほとんど一瞬のうちに消えてしまう。

 

しかし、瞑想の習慣が培われ、マインドの安定が達成されることで、長い時間それを維持できるようになるにつれて、ますます頻繁に起こるようになる。

 

徐々に光は途切れない流れとして輝き出し、ついには熱誠家は完全な日の光の中を歩むようになる。

 

直観が機能し始めたとき、熱誠家はそれを活用し、自らの内にある光を「暖昧で、精妙で、遠くにある」すべての問題に向けることを学ばなければならない。

 

このようにして自らの地平線を広げ、自らの問題を解決し、自らの能率性を高めていくのである。

 

この霊的な光を用いて見て接触したものを、物質界にいる人間は、脳を通して感知し、理解し、実際に活用しなければならない。


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