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エッセネ派の平和福音書

またいつもの様に、大勢の病人や体の不自由なものたちが、イエスのもとにやって来て訊ねた。



「すべてのことをお見通しの方ならば、どうぞお教え願います。

私達はなぜ、この様な忌まわしい業病に苦しまねばならないのでしょうか。

なぜ、他の人達のように歪みのない存在に私達はなれないのでしょう。

主よ、私達も丈夫な体の持主になって、これ以上悲惨な状態の中で過ごさなくても済むようにお癒し下さいませ。

私達は、貴方様があらゆる疾病を治してしまう力を、裡に秘めたお方であることを存じております。

悪魔の手から私達を解き放って、彼が私達に課した甚だしい責め苦からどうぞ私達をお救い下さい。

主よ、私達に憐れみをお与え下さい。」




するとイエスは答えて言われた。

「真理に餓えているときは、あなた達は幸せであります。

私から知恵のパンを受けて、飢えを満たすことが出来るからです。

扉を叩くとき、あなた達は幸せであります。

あなた達のために生命の扉を開いてあげる、この私というものがいるではありませんか。

悪魔の力から逃れようとしている者は、幸せであります。

私がその手をとって、悪魔の力の及ばぬ、あの私達の母なるお方が遣わし給うた天使達の王国へと、その人を導いてあげることにいたしましょう。」

人々はみな驚いて、イエスに尋ねた。

「私達の母なるお方とは、どなたのことでありましょうか。

またそのお方の天使達とは、天使達のなかのどの方々を指してのことでしょうか。

そして、その王国とは一体どこに在るのでございますか」

「母なるお方は、あなた達の内に居られ、あなた達はそのお方の内にいる。

そのお方があなた達を生み、生命を与え給うたのです。

身体はそのお方から戴いたものであり、いつの日にかは再びそれをそのお方にお返しすることになります。




母なるお方とその王国のことを知るようになり、そのお方の遣わし給うた天使達を受け容れ、そのお方の定められ給うた掟に従って生きるようになれば、あなた達は幸福になれるのであります。

敢えて皆さんに申しますが、これ等の掟に従っている者は疾病を見ることがありません。

母なるお方の力は、すべてのものを上回るものだからです。

悪魔とその王国を滅ぼし、あなた達の体をはじめ、生きとし生けるもののすべてを支配する力なのです。」

「心してお聴きなさい人々よ。

人間は大地なる母がお生みになられたその息子なのです。

生みの母親から人間は、その全身を授かりました。

あたかも赤ん坊が、母親の胎内からその身体を授かって生まれたようなものです。

あなた達は大地なる母と不可分の存在、母はあなた達の内に在られ、あなた達は母の中にいるのです。

母から生を受け、その中に住み、またその許へ帰っていくのです。

ですから、母の定めた掟に従わねばなりません。

大地なる母を敬い、その掟を守るもの以外は、何人といえども行き続けることも幸せになることも出来ないのです。

何故ならば、あなた達の呼吸は母の呼吸であり、血は母の血で骨組みは母の骨組み、肉は母の肉で臓腑は母の臓腑だからであって、眼も耳も母の眼であり耳であるからです。

「よく聴いて貰いたいのです。

万一あなた達が、これ等の掟のうちの只の一つでも守らなかったり、部分を問わず只の一箇所でも身体を損なったりするようなことがあれば、あなた達は疾病の嘆きに施す術を知らず、涙にくれ歯をくいしばって悔やむことになるでありましょう。

あなた達が母なるお方の掟に従って行動しない時には、どのような手段を用いても死から逃れることは出来ません。

そして、母の掟を固く守っている者に対しては、母もまたその人を固く守って下さるのです。

母がその人の病気をすべて治して下さるし、再び病む身になることはないのです。

母は彼に長い寿命を与え、あらゆる艱難から、火炎から、水難から、毒蛇の牙からその身を護って下さるのです。

何故なら、あなた達の母なるお方こそ、あなた達を生み、生命をその体内に授けられたからです。

母なるお方を愛し、その胸に静かに抱かれている人はまことに幸せであります。

何故ならば、母なるお方は、あなた達が背いた時でさえも愛することをお止めにはならないのですから。




それならば、あなた達が再び母の許に戻っていった時に、そのお方のあなた達に対する愛はいかばかり強いものでありましょうか。

心して聴いて欲しいのです。

母の愛こそはまことに偉大であります。

いかなる山よりも高く、いかなる深海よりも深いその愛。

自分を慕ってくる人々を、母は絶対に見捨てたりはなさいません。

あたかも雌鳥がその雛を、ライオンの母親がその仔を、人間の母親が生まれたその赤ん坊を育むように、大地なる母は、神の創り給いし人間をあらゆる危険と邪悪から護ってくれるのです。」

「なぜ私が、このことをあなた達に申しているのでしょうか。

それは、数え切れないほどの多くの邪悪と危険が、神の子供達の前途に横たわって近づくのを待ち構えているからです。

あらゆる悪鬼の王たる悪鬼であり、諸悪の根源とも呼ぶべきベルゼブルが、神の子供達の身体の中に潜み横たわって、その時期をうかがっています。

彼こそは死でありすべての疾病を司る者ですが、美しい衣装に身をやつして、人間たちを誘惑したりそそのかしたりいたします。

彼が約束するものは、財宝であり、権力であり、輝くばかりの宮殿であり、金糸銀糸の織りなすきらびやかな衣装であり、かしづく大勢の召使達であり、それらのすべてでもあります。

また名声や栄光を、邪まな情事の歓びや漁色三昧の暮らしを、飽くなき美食と痛飲の世界を、放埓な人生や怠惰な生活、あるいはまた無為に過ごす安逸な日々を約束するのです。

漁色:女色をあさること。
女色:女との情事。いろごと。

悪魔はその人の人柄を見て、最も彼が誘いに弱いようなものを提示してたぶらかしにかかります。

そして、人間がこれらの虚栄と忌まわしい行為の数々の軍門に降って、その奴隷と成り下がったその日から、自分が手に入れた物の代償として、人間は、大地なる母があれほど惜しみなく与えてくれたものを、ことごとく悪魔に取り上げられてしまうのです。

呼吸を取り上げられ、血を骨を、肉を臓腑を、眼を耳を取り上げられる。

こうして、人間の息は短く滞りがちになり、苦痛に満ち、不潔な獣の吐く息のような悪臭を放つようになります。

血は沼の水のように濃くよどんで好ましからぬ臭いを放ち、死の夜のように血栓となって黒ずんで来ます。

骨はこわばってこぶ状にふくれ上がり、ちょうど岩の上に落下した石が粉々に砕けるように、体内で崩れそして割れてしまうのです。

その肉は脂ぎってふやけた様になり、忌まわしい様相をしたかさぶたや腫れ物が出来て腐り、そして化膿していくのです。

臓腑は汚らしい不純物老廃物に満ち溢れ、腐敗したものの流れがよどんでいます。

眼は視力が衰えて真昼間から夜に包まれたような有様ですし、耳は墓の下の静けさのように音の世界が閉ざされてしまいます。

そして一番最後に訪れるものが、この身を誤った人間の生命の終焉なのです。

これ等はすべて、母なるお方の掟を守らずに、罪の上にも罪を重ねたからに他なりません。

大地なる母が人間にお与えになられた贈り物のすべて、その息も血も骨も肉も内臓も眼も耳も、そして遂には、大地なる母が彼の身体に冠してくだされた生命までもが奪い去られることになるのです。」




「しかし、この過ちを犯した人間が、もしその罪を悔いて償いをし、大地なる母の許にもう一度戻っていくのならば、そして、大地なる母の掟に従って悪魔の誘惑に抵抗し、その魔手から自らを解き放とうとすれば、大地なる母は身を誤ったわが子をその愛の手に迎え入れ、天使達を遣わしてその面倒を見るようにして下さるでありましょう。

もし人間が、その体内に宿る悪魔に逆らってその命ずることに従わないようにすれば、その時から直ちに、母なるお方の遣わし給うた天使達はその体内に入りこんできて、力の限り人間を助け、悪魔の影響から彼を完全に解き放ってくれるものなのです。」

「何故でありましょうか。

それは、私達は二人の主人に同時に仕えることは出来ないからです。

私達は、ベルゼブルや彼の手下の悪鬼どもに仕えるか、大地なる母とその天使達に奉仕の誠を捧げるか、二つに一つを選ばねばなりません。

死に仕えるか生に仕えるかです。

生の掟に従って行動し、死の道に踏み迷わない人々はまことに幸いであります。

生命の力強い働きがその身体の中にしっかりと根を下ろして、彼らは死に至る業病から逃れることになるからです。」

イエスをとりまく周囲の人々は、畏敬の念をもって彼の言葉に耳を傾けていた。

イエスの言葉は力に溢れ、僧侶や律法学者などとは全く比較にならない位の説教の内容だったからである。

陽はすでに沈んではいたが、誰も家路につこうとするものは居なかった。

彼らはイエスを取り囲んで座り、さらに訊ねた。

「主よ、仰られた生命の掟とは、一体どのようなものでありましょうか。

もう少し私達と共に残っていて教えて下さいませ。

病めるこの身が治り正しい行いを身につけることが出来ますように、あなた様のお教えを聞き続けとうございます。」

イエスもまた、彼らの輪の中で腰を下ろして言葉を続けられた。

「申し上げましょう。

掟に従う者のみが幸福を手にすることが出来るのであります。」

「書かれたものの中に真の掟を探してはいけません。

なぜなら、書物は生命を持たぬものですが掟は生きたものだからです。

生命あるすべてのものの中に、掟は書き記されています。

草の中に樹の中に、河の水の中に山の中に、空を飛ぶ小鳥達の中に、海に泳ぐ魚たちの中に書かれています。

しかしそれを探す場合には、主としてあなた達自身の中にそれを探すのがよいのです。

神はその掟をあなたがたの心の中に、その魂の中に書き記したのです。」

人々は訊ねた。

「どこに神のつくり給いし掟を読み取ることが出来るでしょうか。

それはどこに書かれているのですか。

あなた様が御覧になったときにそこに書かれてあった掟を、私達に読み聞かせて下さいませ。

今お話になられた掟のことを聞くことによって、病が癒え正しきことのみを行なえる人間になれますように、私達に御説明願います。」

イエスは言われた。

「あなた達が生きた言葉を理解できないというのは、死の中に住んでいるからであります。

暗闇があなた達の眼を盲目とし、聴くことを拒む耳はその働きを封ぜられてしまいます。

神とその掟は、あなた達が従っている物の中にはないのです。

飽くなき美食と飲酒に溺れることのなかにもなく、放蕩無頼の生活のなかにも、漁色三昧の生活にもない。

財宝を追求する中にも、自分達と合わない者達への憎悪の念のなかにもありません。

なぜなら、これ等のものはすべて、真の神の遣わし給うた天使達の存在からは程とおいものだからです。

これ等のものは、すべて常闇の王国から、すべての悪の王から来るものであります。

あなた達が、これ等のものをことごとく自分自身のなかに携え持っている間は、神の御言葉とその御力が這入りこむ余地はありません。

あらゆる形をした邪悪やあらゆる形のいまわしいものが、あなた達の肉体のなかに、あなた達の心の中にその住家を持っているからなのです。

もしあなた達が、生きた神の御言葉と御力の宿りを自らの体内に持ちたいと思うのならば、御自分の肉体と精神を汚してはいけないのです。

なぜならば、肉体とは精神の宿る神殿であり、精神は神の住み給う宮殿だからです。

その故にこそ、造物主がお住みになられて、神に似付かわしい御座を占めることが叶うように、宮殿たるわが身とわが心とを清めねばなりません。」

「そして、悪魔がさしのべる肉体的精神的誘惑のすべてから遠ざかって、天なる神の国の庇護の下にその身をおかねばならないのです。」

「自らを新たにして食を絶つがよろしい。

まことに、悪魔とその下僕たる悪疫は、食事を絶ち神に祈ることによってのみ駆逐することが出来るのです。

自分からすすんで独りだけになって、断食に入りなさい。

行というのは他人に見せびらかすものではありません。

生ける神はそれを御覧になっておられるし、あなたがたが授けられるものはまことに大きいのであります。

ベルゼブルと彼のすべての邪まなものが身体から出ていき、かわって大地なる母の遣わし給うた天使達が、その座を占めてあなた達を助けるようになるまで、断食行を続けることです。

なぜなら、悪魔の影響を断ち切って、悪魔のもたらす疾病のすべてから解き放たれるためには、断食をおいて他にいかなる名案もないからです。

病を癒すことのために、生ける神の御力を求めて食を絶ち、敬虔な祈りを神に捧げることです。

断食を続けている間は他の人々との交わりを絶って、大地なる母の遣わし給うた天使達との接触を心掛けるのです。

心掛けるものには、それは与えられるからです。」

多くの、いまだ清められざる者や病に苦しむ者達が、イエスの言葉に従って小川のせせらぐ岸辺を探し求めた。

彼らは履物と衣服を脱ぎ捨てて、食を絶って、空気と水と陽光の天使達にその身体を捧げた。

大地なる母の遣わし給うた天使達は彼らをつつみ、身体の内側も外側もその支配下に置いた。

するとすべての人々は、邪悪なるもの、諸々の罪科、そして不浄なるものなどの悉くが、足早に自分達の身体から立ち去っていくのを見たのである。

この様な悪魔のおぞましいものから、天使達は人々を救われたのであるが、それを目にした一同は恐ろしさの余り震え上がって、自分達を救って下さるために天使たちをお遣わしになられた神に対して、数々の感謝の祈りを捧げたのであった。

人々の中には、甚だしい苦痛が一向に消えてくれず困っている者達がいた。

どうすればいいのか解らないので、彼らは仲間の誰かを使者にたてて、イエスのもとへ差し向けることに決めた。

イエスの力を貸して貰わねばならないと強く望んだからである。

二人の使者達が探しに行ってみると、イエスがその川の岸辺に近づいて来られるのが見えた。

イエスの

「あなた達に幸せがありますように」

との挨拶のお言葉を耳にした時、二人の胸は希望と喜びに溢れた。

イエスに尋ねたいと思っていた質問は数多くあった筈だのに、驚きの余り、彼らはそれを切り出すことが出来ない。

なに一つ思い出せなかったからである。

すると、イエスのほうから口を開いて、

「あなた達が私を必要としているので来たのです」

といわれたのである。

一人の男が叫んだ。

「主よ、まさしく私達は、あなた様を必要としているのです。

いらして私達を苦しみよりお救い下さいませ」

そこでイエスは、彼らに例え話でお説きになられたのである。

「あなた達は、まるで放蕩息子のようです。

長い年月をただ飲み食いに費やし、仲間達と放埓と漁色の日々に明け暮れていたあの息子のことです。

七年間の飲み食いと自堕落な生活というのは、過去に犯した罪科のことを言うのです。

酷薄な金貸しとは悪魔のことで、借金は病気のことです。

辛い労働とは痛みです。

放蕩息子、これこそあなた達自身であります。

借金の返済というのは、悪魔達や疾病から自分を解き放し、身体の不調を癒すことをいいます。

父親から授かった銀貨の袋は、人間を責め苦から解き放つ天使達の力のことです。

父親は神。

父親の財産とは、天と大地を意味いたします。

父親の使用人達は天使達のことです。

父親の畑とはこの世のことで、人間達が天なる父の遣わし給うた天使達とともに努めれば、この世は天の王国になっていくのです。

ということは、酷薄な金貸しに借金を作って、その負債を返済するために奴隷になって苦役に汗を流さなければならぬ位なら、息子としては父の言うことをきいて、畑で父の使用人達が働くのを見守る方がいいということであります。

同じように、人間にとっては、死の支配者であり、あらゆる悪業と疾病の支配者である悪魔に借りを作って、その罪科のケリを全部つけてしまうまでは苦行に油汗をかく立場に甘んずるよりも、天なる父の掟に従って、その遣わした天使達と共に、神の国建設のために働くことの方がいいということであります。

あなた達の犯した罪はまことに大きく、且つその数は多い。

長年にわたって悪魔の誘惑に負け続けて来たあなた達です。

暴飲暴食を欲しいままにし、あるいは漁色の世界に明け暮れるなど、あなた達は過去にその罪を重ねてきました。

そしていま、その償いをしなければならない次第なのですが、この清算は難しくまた辛いものです。

だから、あの放蕩息子の場合のように、三日目で早くも弱音を吐かずに、神が穢れを清めて下さる七日目まで辛抱強く待ち続けて、驕りを捨ててへり下った心境になることです。

そして、あなた達の犯した罪と過去の負債のすべてを天なる父がお赦し下さることを願って、その御前に進み出るのがよろしいのです。

天なる父のあなた達への愛は、無限に大きい。

なぜなら、天なる父もまた、あなた達が七年間の借金を七日分償うだけで赦して下さるからです。

七年の罪科と疾病を持つ身ではあるが、七日の間、真面目に辛抱強くその償いをしている者に対しては、天なる父は、七年間に渡るその負債をお赦し下さるのです。」

「もし七年の七倍の期間 罪を犯し続けていたら-」

と、ひどい病気に困り果てている者が尋ねた。

「その場合には、七日の七倍で天なる父は、その者と彼が犯した罪科をお赦し下さるのでしょうか。」

「最後まで粘り抜く人達は幸せなのです。

なぜなら、悪魔の手下どもはその人の罪科を全部一冊の帳面につけておくものですが、その帳面というのがあなた達の肉体であり、精神であるからです。

よく覚えておいて下さい。

この世が始まって以来、罪深い行いというものが天なる父の御前に報告されなかった例など、唯の一度としてありはしなかったのです。

あなた達は、人間の王達が作った掟に従わずに済ますことは出来るかも知れないけれども、神の定め給うた掟というものからは、神の創り給いし人間は誰ひとりとして逃れることは出来ないのです。

ですから、神の御前に出頭した時に、あなた達のその所業に対する証人として悪魔の手下どもが立つ訳で、神は、あなた達の肉体と精神という帳面に書かれてある罪科を御覧になられて、御心を痛めさせ給うのであります。

しかし、もしあなた達が自分の犯した罪を後悔して、食を断って祈ることを通して神の遣わし給う天使達を探すならば、天使達は、断食して祈り続けるその一日を一年分に数えて、あなた達の肉体と精神の帳面に記されている罪科を拭い消して下さるのです。

帳面の最後の頁が消されて、罪科のすべてが清められた後に神の御前に立てば、神は心からお喜びになられて、あなた達の犯した罪科のすべてを忘れて下さるのです。

神は、あなた達を悪魔の爪から解放して下さるし、苦しみも消して下さる。

ご自分の住居へあなた達を招き入れて、神の召使い達や天使達のすべてにあなた達の面倒をみることをお命じになるのです。

長い寿命を与えて下さるし、二度と病気に罹ることなどなくなります。

それから後は、罪を犯す代わりに毎日の生活の中で善い行為を行っていくようにすれば、神の遣わし給うた天使達は、あなた達の善行を一つ残らず肉体と精神の帳面に記して下さるのです。

私は次のように申し上げたい。

善行が、神の御前に提出されずに未記録のままで終わってしまうことなど、この世が始まって以来あったためしがないのです。

国王や施政官達を相手の場合には、あなた達が受けるべき報酬を受け取れずに、待ちぼうけを食わされることがあるかも解らないけれども、あなた達の善行が神からその正しい評価を与えられないなどというのは、絶対におこり得ないことなのです。」

「神の御前にあなた達が出頭すると、神の遣わし給うた天使達が証人になって、あなた達の善行の証しを立ててくれるのです。

神は、善行があなたたちの肉体や精神に書かれてあるのを御覧になって、心からお歓びになられます。

神は、あなた達の肉体と精神とすべての行為を祝福なされて、神の創り給いし天と地の王国をあなたたちが受け継いで、そこに永遠の生命を保つことが出来るようにして下さるのです。

神の王国に入れる者は幸せであります。

何故なら、その人は決して死を見ることがないのですから。」

長い静寂がイエスの言葉の後に続いた。

打ちひしがれていた人々は、イエスの言葉から新しい力を得て、断食と祈りの行を続けたのである。

最初に質問を行ったあの男は、

「私は七日目まで頑張ってみせます。」

とイエスに言った。

二番目の男も同じように言った。

「私もまた耐え抜いてみせます。七日の七倍の間。」

イエスは彼等に答えて言われた。

「最後まで頑張る人達は幸せなのです。

大地を継ぐのは彼等だからです。」

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